人生のこと

戴帽式の日にすべてが崩れた話。母の借金と破産、それでも看護師になれた私の話

戴帽式の日に人生が崩れた看護学生のイラスト

はじめに

ブログを書こうと思い、自分の人生を振り返ってみました。

正直、「いろいろあったな」という一言では足りないくらい、予想もしなかった出来事の連続でした。
「どうしてこんなことが起こるのだろう」と思うことも多かったです。

それでも今振り返ると、ちゃんと前に進んでこられたと感じています。

同じように、家庭の問題などで人生が崩れそうになっている方に、少しでも届けばと思い、書いてみます。


小さい頃から“余裕のない環境”でした

小学校4年生から塾に通い、家庭教師もついていました。
遊ぶ時間はほとんどありませんでした。

中学受験をして、そのまま中学・高校・大学と女子校で過ごしました。

大変なこともありましたが、振り返れば学生生活自体は楽しかったと思います。


就職後すぐに退職し、フリーターへ

大学卒業後に就職しましたが、すぐに辞めてしまいました。

その後はフリーターとして働き、パチンコ店での仕事などをしていました。
そんな中、「介護の仕事をしてみよう」と思い、デイサービスでアルバイトを始めました。

これが自分にとても合っていて、楽しく感じられました。このころ一人暮らしも始め、今思えば一番楽しくて充実していた日々を送っていたような気がします。

ただ、友人たちはちゃんと就職をして働いているのに、私はバイトで介護職ということに焦りを感じていたのも事実で、「きちんと働こう」と思い、老人保健施設に就職しました。夜勤もあり、大変な仕事でしたが、ずっと続けていくものだと思っていた矢先に腰を痛めてしまいます。お休みをいただき治療し、いったん復帰しますが、すぐに腰痛で動けなくなり2年ほどで続けることができなくなりました。


人生を立て直すために看護学校へ

腰を治している間に、「資格を取ってやり直したい」と思い、看護学校へ進学しました。

ここから人生を立て直すつもりでした。


戴帽式の日に、すべてが崩れました

看護学校の戴帽式の日、
「やっとここまで来た」と気持ちが高まっていたその日に、父から電話がありました。

「家の権利書を知らないか」

話を聞いていくうちに分かったのは、母が1000万円以上の借金をしていたという事実でした。

さらに、

  • 家の貯金はすべて使い込まれていた
  • 親戚や友人からも借金をしていた
  • 積立保険も解約されていた
  • 叔母の遺産も使われていた
  • 私自身も約700万円の連帯保証人になっていた

正直、怒りを通り越して笑ってしまうほどでした。

「娘にこれだけの負担を背負わせるとは、どんな気持ちなのだろう」と、悲しさが込み上げてきました。

なぜ母の借金が発覚したかというと、戴帽式の少し前に母が脳梗塞で入院し、今まで母が管理していた郵便物を父が管理することになり、その中にいくつもの督促状があったからでした。父に知られないようにずっと隠していたんですね。


看護学校を辞める覚悟をしました

母の部屋を片付けると、督促状が次々と出てきました。

借金の全体像を把握したとき、思ったのは、

「これは学生を続けている場合ではない」

ということでした。

看護学校は辞めて、とにかく働こうと決めました。
水商売でも何でもやる覚悟でした。

そのときの気持ちは、「諦め」に近かったと思います。


「破産宣告」という選択

そんな中、知り合いに弁護士になった方がいたのを思い出し、利息分でもなんとかならないか相談をしました。そこで言われたのは

「看護学校は絶対に辞めないほうがいい。破産を選びなさい」

最初は強い抵抗がありました。

借金を踏み倒すようなものではないか。
人としてどうなのか。
そんな“過去”を背負うことへの不安もありました。

それでも、このままでは何もかも終わってしまう。

悩んだ末に、破産宣告を選びました。


すべてを失って、ようやく前を向けた

破産によって、家のお金も信頼も、すべて失いました。

母も破産宣告をしたのですが、裁判所に行ったときに母にお金を貸していた母の友人たちも来ていました。私とも顔なじみの方もいました。その方たちの私たちを見る表情を今でも覚えています。信じていた友人(母)に裏切られたのですから当然の表情でした。

色々な方に迷惑をかけてまでも破産宣告をし、看護学校を続けることを選んだのですから、途中で投げ出すことはできないと覚悟を決めて学校に戻りました。一度辞めることを申し出ていたのですが、復学を快く承諾してくれた学校に感謝の気持ちでいっぱいでした。

「ここで逃げたら終わりや」

そう思って、必死で勉強しました。


■復学してからの私

正直、余裕なんてありませんでした。

周りより遅れている分を取り戻すこと、
もう一度信頼を取り戻すこと、
そして何より、「絶対に無駄にしない」と決めたこと。

とにかく必死でした。

その結果、私は首席で卒業することができました。


■卒業式で送辞を読むことに

卒業式では、送辞を任されました。

あのときの自分からは想像もできない場所に立っていることに、正直驚きました。

すべてを失ったと思っていた自分が、こうして前に立って言葉を伝える側になっている。

人生って、ほんまにわからんものやと思いました。


28歳で看護師になりました

そして28歳で看護師になりました。

決して順調な道ではありませんでしたが、

「ここまで来ることができた」

そう思えた瞬間でした。


あのときの自分に伝えたいこと

もし過去の自分に声をかけることができるなら、こう伝えたいです。

「自分の人生を一番に考えていい」

家族は大切ですが、自分の人生まで犠牲にする必要はありません。


同じように悩んでいる方へ

家庭の問題で人生が大きく揺らぐことは、決して珍しいことではないと思います。

しかし、それによって自分の人生まで終わらせてしまう必要はありません。

どんな状況でも、自分の人生は自分で取り戻すことができます。


まとめ

人生は本当に予測できないものです。

ですが、どん底に落ちたとしても、そこからどう行動するかで未来は大きく変わります。
夜逃げまで考えた自分が今家庭を持って看護師として復職し充実した生活を送っている。母の借金を知った時の自分からは想像もできません。

もし今つらい状況にいる方がいれば、
「まだ終わりではない」ということを、心のどこかに置いていただけたらと思います。

自分の人生は、自分のものです。

ジョー
ジョー

よぉ頑張ったな。

そいまる
そいまる

ほんまに。借金分かったときは人生詰んだおもったわ😅

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    そいまる

    そいまるです。 猫好き高齢出産ママが日々の子育てや 暮らしのことを発信しています。

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